soundwing-あの素晴らしい駄文以下のなにか

関西(大阪)のライブレポートを中心に更新。昔はフリーゲームや同人音楽のレビューをしてました。

2016/05/31 MOGWAI play ATOMIC @ BIGCAT

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MOGWAI play Atomic。


BBCが広島原爆から30年に制作したドキュメンタリー映像《Atomic》をスクリーンにそのまま流して、彼らが担当した劇伴を生演奏。
強烈な映像もあり。音楽もモグワイの重苦しい面が前面に押し出された内容でサントラCDで聴く以上に胸を押し潰される体験でした。
でも個人的には非常に興味深かったし、心に響くモノがあった。




轟音とは違う意味で強烈なライヴ。終演後はほとんどの客が笑ってない。笑っててもひきつってる。まず見ない光景。





映像は、核の恐ろしさを描くと同時に核による医学/知識の進化も語っており批判一辺倒ではありませんでした。
しかしモグワイの音像は全編を通して重苦しい。そこが安易な劇伴になっていない。音楽が映像に意味をつけていた。


唯一、希望的な旋律を聴かせる「Tzar」。
この時の映像は確かに”感動”の側面も見せながらも、胸が締め付けられる複雑な感情がありました。化学の進化は良い面も悪い面もある。思わず叫びだしそうになるライブのピークでした。




モグワイのウリである轟音は瞬間的な爆発力ではなく持続的なノイズ……どこにでもある空気/大気としてそこにありました。
シンプルに紐づく核爆発=轟音以外にも、デモを行う人間の意思の強さ、冷戦の緊迫感、科学で変わっていく世界など色々なモノに轟音の持つエネルギー繋がってた。モグワイならではの劇伴だな、と。


前半はまだ音の隙間がありました。後半になるにつれ轟音が会場全体に、すぐ隣に、ずっと鳴っている。
”原爆”だけじゃなく”原子力”というモノが永遠に存在する世の中になったんだなと思わされました。
ここが今回のモグワイのライブを”体験”する一番の意義かと。


世界が変わっていく映像と音を棒立ちで見届けた終わりに迎えるスタッフロール。
いままで座って演奏していたスチュワートが立ち上がって「My Father My King」ばりの轟音をかき鳴らしてました。圧巻……。
音楽的にはココが一番シビレたかな。もう色々な感覚はおかしくなってたけど。




核の恐ろしさを描くだけでなく、自分たちも動けばナニカが変わるのでは?と思わせてくれる内容でした。
それは人間の強さや意思の固さが所々に見え隠れしてたからかも。


こういう言い方もおかしいのかもしれないけど、なかなか経験できない面白いライブ/体験でした。
オバマさんのスピーチ直後なのも、スーパーマーズの日だったのも運命的なモノを感じます。
これを広島でやるのはモグワイも相当な度胸が必要だろうなぁ。




今回のモグワイのライブはtwiterで賛否両論が巻き起こりました。


その時の批判ポイントのひとつが”轟音が無い”。
でも轟音が無いってのは間違いで”聴きやすい轟音が無い”、”静と轟音の急激な切り替えが無い”が正解かと。
後半はむしろずっと爆音で音が鳴ってた。ただ心情的にノイズまみれに思えてただけかもしれない。冷静な判断できる状態ではありませんでした。


映像やメッセージ性について批判してる人もいるけど、映像はBBCのドキュメンタリー映像のまんまで、モグワイはあくまでも劇伴担当がメインってのを知らない人が多いのでは?


その趣旨がわかりにくい告知の仕方をしたSmashに問題があると思います。
ライブの説明にあった「新作”ATOMIC”を映像とともにシンクロ演奏する」でなく「ドキュメンタリー映像”ATOMIC”にあわせて劇伴を生演奏する」と書けば誤解も少なかったはず。




ライブ中は演奏が完璧すぎて音源を流してるのか演奏してるのかわからないときがありました。
でも家に帰って聴き直すと全然違う。特にラストはライブのみのインプロ的轟音が鳴っていた。


BBCで放送した映像はCDの整った音に近かったっぽいです。
それでも最低限の説明の映像+抽象性の高いモグワイの音楽、ってアート性の高い作品をTVで放送するなんて日本じゃ考えられないなぁ。


終わった後のBGMがオー・シャンゼリゼでちょっと救われた気がしました。アレも含めてよかった。